鏡臣
2/23今日は特別な1日となりました。
今から7年前、東京での鑑定の時。
相談者のS氏は当時、中国での音楽や映像の製作を手掛けられておられ、当時の中華日報に取り上げられルほどの仕事をされていた。
相談の話の中にも、自分の祖先は中国と縁があり、今の恩恵があるのではないか?と言った話から始まった。
ところが鑑定の結果は、その期待を大きく裏切るもので「あなたの御先祖は、大岡越前のように関所の領主ほどの家で中国とは全く関係ない。中国との仕事は暗礁に乗り上げるから、そうなった時は靖国神社にお参りに行って下さい。そして直ちに家のルーツを調べお墓参りをしてください」と申し上げました。
頭をかしげながら帰られるS氏の後ろ姿が、印象的な鑑定となりました。
それから数ヵ月後の年の暮れ、一通のメールを頂きました。
「先生の仰られた通り、中国の仕事は暗礁に乗り上げましたので、靖国神社に行きました。言われた御先祖供養はまだやっておりませんので、これからすぐに行います」
との連絡が入りました。
それから翌年の2月に、又一通のメールが届き、内容は「私の御先祖は堺商人と言われる商人の末裔で、御先祖のお墓はとても大きなものでした」
大きな墓石と一緒に映るSさんの姿が写っていました。
堺商人は、九州と大阪との貿易で財をなした豪商で「海の堺」と呼ばれ経済的に豊かな商人の町を築きあげました、時の権力者信長に対しても矢銭の強要に堺衆は断固拒否し、防戦の城や堀を作り厳重武装できるほどの力を持っていました。
そう言った堺商人の一部が、源範頼が今から300年ほど前に今の北九州の八幡に本城を築く際に、ご用商人として同行し、この地域一帯を切り開いた末裔でありました。
私も関西や東京で暮らしていたので、よく解りますが。都会育ちの人は一般的に、御先祖供養は寺に任せるものであったり、神棚を設けるのは宗教を意識され謙遜されてしまう。
しかし元々先祖供養を解りやすく言うと、神さま文化の中で、ずっと継承されてきたものなのだ。
「神の腹から産まれ、神の元に還る」
この考えにより祖先崇拝が今の形に至っている、言わば子孫の成功は神代から続く継承文化の証しであり、神から続く人の道はたくさんの御霊の連なりによって築きあげられている!と私は考えているのです。
その道筋に子孫が関心を持ち継承する、代々脈々と繋がる道筋に敬意を持ち、そして誇りを胸に、本当の意味で先祖から続く人の道を堂々と歩み続けることが出来ると思うのです。
だからお客様によく言うセリフの中に「見たことのない偉大な神や、立派な御経をアカの他人に唱えて貰うことより。曾祖父母の名前やルーツを知ることの方が、余程御先祖さまは喜んで下さる」。決して御経や信仰を卑下している訳ではないが、近い御先祖の道筋すら明確にしようとしない子孫に、神代から続く御祖神の道筋が繋がる訳がないと思うのです。
どんなに親戚との兼ね合いが悪くても、誰かの子孫であることが分かるのであれば、その道筋を正しく明るく照らし、同じ不幸や同じ不和が連鎖しないようにすることが本来の供養のための祈願だと考えます。
江戸後期の檀家制度により、とくに古代からの神式を重んじてきた家柄は影響を受けました。御祖神や先祖の為に行ってきた神事が、他の宗教の様式に変わり、神のために行ってきた祀り事が、信仰者側の思惑に変わり、それまでに得た財や富、恩恵、子孫繁栄の道筋がうやむやになってしまう。
たかが供養であったとしても、質素で財もなく破天荒な親兄弟に苛まれたとしても、それは長い歴史の一部であり、たくさんの命のバトンの中には、一族の繁栄のために自らの人生を犠牲にした者がいても不思議じゃない。そんな尊い命の歴史の中で、私たちは生かされているのだ。
相談者Sさんに降りてきた情報は、紛れもなく堺商人の時代のもので、その時代の英知をSさんに伝えたかった。
ただ、単に神さまが好きだから!という訳でなく、情報を下さったS氏の力のある御先祖さまに応えるべく、そのルーツと繁栄をもたらせた背景を知り、この世の子孫が同じ恩徳を得られるようにすることが私の役割だと思っていた。
たかが神棚一つに踏み出せないS氏と共に、調査して分かったS家の産土神社を見つけ、今日神社に赴いた。
神社にある石碑や、石燈籠に刻まれる御先祖の名の数々に驚いた、そしてS家の様々な情報がS氏に甦る!
こちらの地を切り開き財を成した、一族の言い伝えや地理背景、様々な情報が走馬灯のように溢れ出すS氏。
ジックリと境内を眺め、今まで触れなかった御先祖の功績を語り出すS氏に驚いてしまった。
閉ざされた扉が開くかのように、イキイキとした感性が輝いているようだった。
本当に素晴らしいお宮参りをさせて頂いた気持ちになった、本殿にて神恩報謝詞を奏上させて頂き一緒に膝まづかせて頂き、祖先祭タタヘゴトを奏し、再会が一族の再開となるよう祈願させて頂いた。
覚束無い拝詞であったかも知れないが、出来る限りのことを私なりにしようと思った。
今回のお宮参り、土地勘のない私にとって神社選定は非常に難しいものであったが、以前「霊視とは」という記事の中に登場する歴女のAさんのご協力のおかげで、S氏の産神に辿り着くことが出来た。又彼女の計らいにより、博多商人の末裔が手掛けられるフレンチの夕食会にて、堺商人の末裔と博多商人の末裔の、顔合わせが実現出来たのだ。
「堺と博多」の巡り合わせ、目には見えない先人たちの歓びが聞こえてきそうだった。
長崎街道が繋ぐ不思議な御縁、そして海を渡り実は堺商人と私の御先祖は繋がっている、海の堺は「陸の今井」に縁あり。
今井の米殿と呼ばれる米問屋を、私の御先祖は営んでいたからだ。
食事会のメンバーは長崎街道の庄屋A家、街道の先の庄屋S家、博多の商人、海を渡り今井に繋がり、近江商人の末裔の友人が加わり、300年前から遡る恩徳関係のような夜だった。
仕事を通じて、お客様のために行っていたことが私のルーツにも繋がり、すべての一期一会に感謝したい日となりました。
今夜友人が私に渡してくれた資料のメモ書きに、こう記されていた。
先に説明すると、私と友人は古代のことを調べている、春日に祀られる比売大神の正体。謎は深まるばかりであるが、関連する一部の「鏡臣」に関わる記述によると。
☆鏡臣の使命
陽陰(日月)と地(世)を同調させること
※古代「日月」は神と呼んでいた。
魂(たま)と魄(しい)の起源である、日月(神)の援助を得て、乱れた霊(タマ)の緒(ヲ)を解き、魂魄を陽陰の宮(アメのミヤイ)に還すこと。
「霊還し」
☆魂~魄を結ぶ霊の緒(ヲ)
魂・魄・霊の緒、この3つが協力して働いて人の意識・精神・心となる。
天児屋根の妻である三笠臣は「鏡の臣」とも記されている。
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