怨霊

昔から怨霊を恐れて、様々な祈祷が行われて来ました。
私の仕事の依頼も、霊障があるか視てほしい等あります。
憑依された人を治すことも何度もやって来ましたが、それはその場において必要迫られた時だけで、わざわざ降霊などしたり、又健康に普通に暮らしている人に「霊障があるから」と言いがかりをつけて行ったことは一切ございません。

むしろ昔から、人が病気になることや不幸があるなどの弱みに漬け込んで、観音様にお大師さん、エビスさんに狐に天狗に白蛇さん、結界に塩盛りに護符など・・
そう言ったことを勧める霊能者や占い師に正直うんざりしています。

普通に神棚や御先祖供養が出来ていれば、基本的に落ち着いた生活が出来るのは当たり前です、古来からの日本の知恵なのですから、ところが近年では人様が勝手に神格化したものを奉り、形にすることで余計に苦しみを留めてしまう方が多いです。

昔から「さわらぬ神に祟りなし」は本当なのです。

一時期コックリさんが流行りました、西洋でも魔方陣を作り黒魔法などありました、若い世代の人たちが安易に遊び感覚で行いますが私は非常に危険だと思っています。
集団心理から不安定な状態を引き起こし、集団でのトランス状態に陥り、パニック状態が連鎖を起こすのです。

とくに見える人、霊能者など影響力の強い人が若い世代の子どもたちに与える影響力は大きくて当たり前です。

又、幻想的な天使や良き影響を与える神さま的なものだとしても、少し考えて見て下さい。

本当に大切なのはリアルのコミュニケーションなのですから、現実からかけ離れた次元のアドバイスより占いや統計学のツールにより分析し、どうコミュニケーションをとるかを考えてあげる方が、その人のためになると思うのです。

明治以降、日本はたくさんの文化を取り入れました。たくさんの教養も増えました、しかし継承文化については息絶えそうになっています。

お客さまの中には信仰深い家庭もたくさんありました、あらゆる偶像が祭り上げられ、家中に所狭しと神仏に関連するものが並んでいます。
ところが、そう言った家庭の御先祖さまの要望は無作為に置かれている偶像などを嫌がる方ばかりなのです。

私も何故なのか?最初は分かりませんでした、しかしそう言ったことを調べていくと、色んなことが分かりました。

まず、供養と信仰は違います。

供養とは太古の昔から行ってきた継承文化の一つであり、それは後の世である現代のように悠久の歴史を持つ日本の成功哲学のようなものです。神代から続く祖先崇拝が継承され今に至っているのです、ですから宗教学上に存在するわけではございません。

確かに日本は神仏混仰の時代もあり歴史的に続いていますが、仏教を取り入れた天皇の時代より祟りを恐れて怨霊などの鎮めの儀式の一つに仏教を取り入れるようになりました。むしろ仏教の教えの原点は、神や仏や霊魂など目に見えない世界より、現実現世においてどう生きるか、困っている人や世の中をどう救済するかを問われたのがブッダの教えです。

日本の古来からの神道の方が目に見えない神や霊的存在を重んじており、仏教の方は大陸からの学びが、日本の文化に合わせ臨機応変に変わっていると言えるのです。

江戸時代まで神仏習合であっても、霊的な存在に対しては神式で行っていました。地神祭や幽祭(葬儀)などです。ですから御仏壇は本来須弥壇であり、仏教の仏像や経本を安置するものでした。

ところが明治政府により神仏分離により分けられました。祭政一致のため、神道も其々の土着の信仰や幽祭神事や世襲制が廃止され、現代のように形変えられたのです。

そのため戦後によるGHQの神道禁ずの御触れをもと、先祖供養や霊魂に関わること全般が仏教の救済のもと今のような形になり供養という文化が受け継がれました。

御位牌一つとっても、元々依り代の代わりと見立て剣の形になっています。
夫婦で合祀されていたものが、一人ずつ作られるようになり、漆塗りから近年では手彫りのモノまであります。

祀り方一つでも昔から言われがあります。

<仏式の場合>
・最上段に各宗派の掛軸や仏像を祀ります。
(必ず三位一体となるように、一仏の場合社会で孤立する傾向になると昔から言われがあります)
・位牌は一段下に置くようにする
(本来夫婦合祀が望ましいが、近年の物質化した世の中で変わりました。昔からの言われでは、夫婦を分けると喧嘩や別居、離婚などになる。仏像と同じ座に置くと年寄りが権威を誇示し家庭不和や、子孫に思いやりがなくなる)
・位牌は本来依り代ですので、彫った文字のモノは相応しくないのです。ここ25年くらいで人気が出ました。
(お墓は風化するため、一族の名が彫られて来ました。依り代は神社でいう御神体と同じ、キズついたモノを作るというのは本来の主旨と違うことが明らかですね)
・過去帳は日にち命日の御先祖を把握するものです、引き出しにしまわず毎日の供養に活用しましょう。

<神式の場合>
・祖霊舎に御先祖を御祀りします
・神棚には天照大神、氏神、崇敬神社の三つの御神札を御祀りします。
(よく神棚の扉を開け中の御神札を見えるように、御祭りされる方がおられますが、本来神は見たり触れたりしないもの、肌で感じるものなのです。神社の御神体も宮大工による寸分の狂いもない厳重な御扉の中にお祀りされています、御家庭でも必ず御扉を閉めてお祀りしましょう)
・崇敬神社は御祖神又は御先祖に縁のある神さまをお祀りしましょう。
(神棚に遠い御先祖、祖霊舎に近い御先祖をお祀りします)
・神棚に大黒天、エビス、お地蔵さんなどの偶像を置く方もおられますが、そう言った御家庭ほど信仰の対象が分からなくなる方が多いです。人の手掛けた神格化した偶像に神が宿ると思いますか?
人間さま中心の考え方を押し付けているようなものです、偶像を大切にしたいのであればお供えをせず、普通にオブジェのように扱われる方が良いと思います。

供養の話に戻りますが、時代背景により祀り方が変わり、商売や現代人の勝手な解釈で供養の形式まで様変りしました。祀り方は一つの継承文化に過ぎません、しかし正しい祀り方は太古の昔からそれを重んじてきた御先祖さまに誠意を示すことが出来ます。

あくまでも信仰や偶像が供養の妨げとならないように、供養のあり方を見つめ直してほしいのです。

よかれと思って色んな祀り事や、ご利益求めてあの神この神と増やすことより、代々の縁ある神さまとの繋がりを大切にし、御先祖さまのお名前や命日に、そっと思いやりを持てる生き方の方が、御先祖さまもお喜びになることを知ってほしいです。
冒頭の話に戻りますが、昔、確かに神憑りを行って来ましたが、そこには國の祭司を司る者が儀式に基づき行ってきたことです。今の時代は、いいえ、遥かな昔からそう言ったことは通用しなくなりました。
当然だと思います、人間の我欲で身勝手な社会を形成し、自然に対しても畏敬の念もなく文明の力で世の中をを変えていますから。

そんな世の中で便利に生きている私たちに、都合よく神憑りが出来るとは思えません。

せめて現代の私たちに出来ることは、御先祖供養くらいです。

今まで様々な霊障に悩まされてきた方が、家の中にあったパワーストーンや、偶像から、あらゆるものを片付け。普通に先祖供養と普通に神棚をお祀りし、普通にされたら霊障はおさまりました。

現実なんて、こんなものです。

春日見咲

旧字体の姓名判断とルノルマンカードにて占いをしております