春日とわたしの関係

福岡に来てから丸4年、あまりにも無知な私にシビレを切らした神さまが、學びのために九州に送り込んだのではないか?と思うような4年間。

まず、私は必ず春日の神さまに御縁のある所に住まわせて頂ける。こちらに住むときに核心付いたことの一つ。

引っ越しの後、役所で移転の手続きを済ませた時に、古代奴国の勾玉のネックレスが展示されていた。
「ここだ!」
私が思う卑弥呼のような存在は、ここに間違いない!と、そう思ったのが始まりだった。

卑弥呼については色んな諸説があるが、畿内説はあまりにも考えられない。遺跡から出土される縄文の勾玉などから考えても九州又は四国に考えるべきだと思う。
大和王朝の前に九州王朝があったという考えが私にはあり、卑弥呼が云々というよりは私の前世の記憶のようなものには、卑弥呼のような母の存在は九州に点在する各地の王とテレパシーのようなもので交信し、九州の伊都国で國の玄関口として海外との国交を行っているイメージがあった。

本当に前世の記憶なのか単なる妄想なのかは分からないが、幼いときから記憶があり、内容としてはザックリ話すと母=卑弥呼のような存在がいて私は後継者としての役割があったが、敵国(又はその時代の侵略者)の手に落ち私は土に埋められる。と、いう記憶だ。最終的に埋められた場所は、外宮で大きな杉の木に「この木は、わたしだ」と小学生の時から思い込んでいる私がいた。

街中の占い師さんに、よく「あなたは卑弥呼の生まれ変わり」と言われた経験が何度かあるが、「私は卑弥呼じゃない」というハッキリとした気持ちは、その前世の記憶?がずっと継続的にあったからだと思う。

とにかく前世の記憶がとくに何か影響を与えて来たわけではないが、九州に来てから引き出しにしまっていた記憶を開けて古代を學ばされているような毎日に変わった。

前世の記憶
母(卑弥呼的存在)ヒミカ又はミカサのような名前で呼ばれていたイメージがある。
全国にある三笠山・御笠川等々、私は一人勝手に地名への愛着と、その影響力を感じていた。
神功皇后の勉強会やら古事記などの勉強は、主権を持った者からの尺度で、それぞれの土着信仰のあり方や、それぞれの氏にまつわる神さまが分からなくなってしまう、前世の記憶で卑弥呼の影を追って古事記以前の信仰を知るため色々神社巡りを行ってみても何も繋がる核心は持てなかった。

ところが有り難いことに現役で神職であり古神道をよく知り、さらに旧事本紀や風土記を知る人物から學びを受けられるようになった。

その先生が仰るに氏神さまと御祖先の神さまは繋がっている。

占いを通じても、やはり子孫と御祖先の関係は両想いの関係が大切であることは、私も痛感していた。
卑弥呼のルートで前世の記憶探しの旅を止めるわけではないが、卑弥呼や古代はなかなか繋がらないので保留にしていた。

春日神社との御縁に関しては、実家の近くだから、私が引っ越す先に必ずあるから、くらいの感覚だったが、元々家代々が栄えた場所を法務局で調べ、家が信仰していた神社を調べた時に愕然とした。

なんとそこでも春日神社アマノコヤネノミコトが祀られていたのだ!

これは、どうも私一人の問題でも無さそうだ!

で、あらためてアマノコヤネのルーツを調べ直す。
天児屋根(アマノコヤネ)別名:春日麿、なるほど春日神社の春日は春日麿から来ているのか。
比売神←この名称が非常に怪しく一般的な表向きは天美津玉照比売ということになっているが、ほとんどの由緒書きには比売神としてある、なぜなら比売神とは女神の代名詞であるからだ。
系図の方で調べてみる、すると鏡の臣(三笠臣)と書かれていた。

三笠臣!

原点に還る、振り出しに戻ると言った方が良いのではないだろうか?

ミカサはミカサフミなどホツマツタエなどで記実が残っている。又三笠臣に関しては奴国に絡む記実もあるようだ!
これから益々勉強することが増えそうな気がするが、私と春日の関係は氏神さまであり、御祖先からの崇敬神社であり、私の前世の記憶?又は古代のスピリットに絡む存在であると、今はそう思っている。

もしかすると、前世の記憶に残るミカ・ミカサ・ヒミカのキーワードを持つ母的存在の謎が解けるかもしれない。

春日見咲

旧字体の姓名判断とルノルマンカードにて占いをしております