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・とても綺麗な空でした。
神さまの歴史を學んでいると、古事記はアマテラスオオミカミを中心に天津神々のお話になります。旧事記を學ぶとスサノオや大国主・ニギハヤヒの活躍が目立ちます。
一連の勉強を踏まえてお話すると、まず宮崎の南方から旅に出たスサノオは世界を旅して色んな學び(神仙道)と色んな人(十氏族説もあり)を連れて北部九州に降り立った!スサノオは次々と國を治めていく。そして出雲で國を制定し大国主や海神族の手によって東の地にまで國津神の勢力は広がった。スサノオ6世の孫ニギハヤヒは近畿の王であったナガスネヒコの妹(娘)と結婚し、二人の間に出来た娘の元に神武天皇が婿養子に入り、長男である物部の祖ウマシマヂは政治と祭祀の両権掌握し國を治めた。
ザックリ過ぎるかな~?(*´-`)
まあ、大体の流れとして。
卑弥呼の鬼道はスサノオの神仙道の流れから来ているらしい、先日まではスサノオと卑弥呼は婚姻関係を結んだという話を聞いていたが、今日になって卑弥呼はスサノオの16代後になりスサノオを崇敬していたと教わった!國津神は剣と勾玉、卑弥呼の扱っていた「鏡」自体が後の時代となるらしい。ちなみに勾玉が弥生時代の遺跡からは出てこない、勾玉は縄文の時代なのだそうだ。
古代の神のお話を教えて下さる先生も、次々と新たな情報が集まって来ているみたい!
私の脳ミソ着いていけるかしら?(^-^;
春日大社のことを詳しく聞いてみた。
鹿島から勧請されている、元宮がある、キーワードはタケミカヅチ→ミカハヤヒから生まれた。
ここでも「ミカ」というキーワードが!
詳細は後程まとめます(^ω^)
一気に三時間の電話で學んだ沢山の情報、とりあえず必要な覚書と課題。
・神仙道での泰山府君という神は大国主のこと。追記、神仙道が後の鬼道や陰陽道に展開する。
・秋元神社、水と龍の神社、行くときは弊立方面から入ること、宮崎市内からは遠回り。
・麻氏良(マデラ)布神社、朝倉。朝倉に國津神の神をたくさん集め、天智天皇は手厚く祀った。朝倉に國津神を集結させた理由は?近いうちに神奈備としての神氣の高さを検証。
・ウエツフミ津島家、津軽三群志物部、ホツマツタエ大神大社。
誰かのblogに國津神の祟りを恐れて歴代天皇は祈り続けていると。
わたしと神職の先生との共通の見解は、神さまの血縁にあたる子孫が祈りを行わないかぎり神さまはおさまらない。御祖神と子孫の計り知れない関係。
今の現代においても、どんなに科学が進んでも神さまの御導きは本当に凄い。
PS、眠いので見直さず投稿します( . )(-.-)(__)..zzZZ
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