霊視とは
私の占術は霊視や透視、亡くなった人が見えるetc. と企業に紹介されることが多いです。
私自身は、実のところそのような紹介のされ方に困っていたりします。仕事なので仕方がないのですが、なぜ霊視や透視といったことが出来るのか?見えるのか?分かるのか?正直な話、自分でもよくわかりません。
なぜ、そう感じるのか?
脳の一部が人と違っているのか?科学的根拠が分かれば、わたしも凄く心が楽になるのに・・と、いつも思います。
新たなホームページの開設は、以前からお世話になっているプロデューサさんに、今まで視てきたことを、どんな風に見えてきたのか詳しく書いたら!とアドバイス頂いたのですが、なかなか思うように書けません。(^-^;
記録として留めておきたいことを、残しておきたいと思います。
私とAさんとの出会いは7年前でした、電話占いで仕事の相談から関わらせて頂きましたが、彼女の家は古くそれだけ御先祖さまからの訴えも強いものがありました。
現実を必死に生きる彼女に、非現実的な訴えが何処まで届くかどうか?
しかし彼女自身も、統計学でなく本当に見える先生を会社に依頼してのお話だったので、一通り仕事や対人関係の相談を終えてから、実家の霊視・蔵の透視等をしました。
当時彼女も廃墟となりつつあった実家が気になっていたらしく、蔵の整理をしていたので蔵の透視は裏をとりながら進めることが出来たのです。
御先祖さまからの訴えは、御先祖供養をして欲しいのと、家の神さまをちゃんとしてほしいとのこと。
この問題は、ここに限った話ではありません。私は若い頃から、そういった沢山のケースに遭遇してきましたが、なぜ仏壇の祀り方が悪いと障りがあるのか?
なぜ宗派を変えるとよくないのか?
なぜ先祖供養を見直す必要があるのか?
なぜ、そもそもそういったことをしなければならないのか?
私自身も無宗教の無頓着でしたから、占いを通じて學ぶことばかりでした。若い頃は見えるまま「おじいさんが寂しがってるよ」とか、「山の上から御先祖が手をふってられるわ」と話せば、お客様の方から「ウチの墓は山にあるんよ、そう言えば全然行ってない!」など、こんな形での霊視で良かったのですが、年々私自身が年をとる毎に理屈が必要になりました。
私自身も、お客様を通じてお墓参りや先祖供養の大切さを知りましたし、何より御先祖と子孫が両想いの関係になると、それまで滞っていたことが嘘みたいに解決の方向に向かう。(但しお金の問題は違います、お金の問題は弁護士さんに御相談ください)
こうして書くと宗教みたいで嫌なのですが、やった方は実感できています。
話は戻りますが、実際にAさんの家の問題も御先祖さまの情報が強く、次のようなものでした。
①神仏が放置されていること
(鑑定より3年後、神仏共にお祀りされました)
②水害があり、そのために山からの傾斜部に御先祖が往き来していた祠のようなものが流されてしまった。
(当時のAさんも実際に心辺りがありました、霊視の時点で御先祖さまの情報は正しいものでしたが、鑑定から四年後に検証しに行ったところ、いくつか神式の墓の残骸があり、Aさん祖母は祠のように思いお祀りしていたことが分かりました。市町村の納骨堂政策が行われていたために、祖父母の代でも古い御先祖さまの墓なのか分からなくなっていたようです)
③南方から上がって来た一族である
(先祖供養を行いながら物事を進めていくと、色んなことが分かりました。神社を建てるような家柄でしたので、一番古い御先祖の石燈籠に南方の地名を示す名前が彫られており、神社祭神も南方の信仰神がお祀りされていました)
他に、たくさんの情報がありました、最終的に御先祖さまが一番望んでいたことは、こちらの家の場合元々神道を重んじて栄えてきた家柄なのです。江戸後期檀家制度により庄屋などは家柄を誇示するために仏門に入ります。仏教を學びながらも祖先からの継承を怠らなければ良かったのかもしれませんが、明治から激動のように日本は変わりました、物質的に恵まれ教育が変わり信仰もあらゆるモノが溢れました。
どちらの家庭でも言えることですが、本来祖先や神のための祀り事が、自己中心の祀り事や解釈になり、國や社会全体も変わってしまったのです。
こちらのAさんの家も、檀家による宗教から新興宗教に発展し、Aさんの両親の時点で一家離散・散財するという状態に陥っていたのです。
一番末裔の彼女が神仏などと関心を持てる訳がありません。Aさんの祖母もお父様も熱心な新興宗教信者として亡くなっているのですから、そのような境遇の彼女に「御先祖や神さま」の話をするのは、私自身も苦しいものがありました。
しかし私自身が超能力を持っている訳ではありません、あくまでも彼女の御先祖さまが私に情報を下さっているので、その情報が明確だったからこそ彼女も心開いて受け止めてくれたのかもしれません。
時間はかかりましたが、一番変わったことは、転職が落ち着いたこと。親子関係や一族の関係が良くなったこと。ブレがなく自分らしく生きておられること。
現在では、古い家柄と歴史的に貴重な資料がある家柄なので、家の調べものから地域に至り歴女ぶりを発揮されています。
今から二年ほど前の話ですが、Aさんの家にプロのカメラマンが取材に訪れました。
私も同行させて頂くことになったのですが、家の写真を次々と撮り終え少し休憩していたときに。
目の前に江戸時代の古い御先祖さまがお二人現れ、私に何度も頭を下げられながら言いました。
「以前は利休さまとしてお越しくださいました」と。
・・・!
一瞬自分の胸に留めておこうかと思いましたが、Aさんの御先祖さまですから。
そこにいた、Aさん、カメラマン、そしてカメラマンさんの運転手の方を前に言いました。
「今ね、A家の古い御先祖さまがお二人現れてね、私にこう仰ったの!以前、利休としてお越し下さったと」汗
もう私の勘や考えじゃないですから、必死で皆に言い訳しましたよ!笑
「変な占い師が変なこと言う、と思って下さっていいですからね!あくまでもA家の御先祖さまの言葉ですからね!」汗
(私も前世坊主なんてイヤです)
カメラマンさんも皆さん心優しい人で和やかに話は聞いて下さいましたが、どうして利休が!?ここに来る理由がなかったのです。
夏のA家の取材撮影後から翌年の3月、Aさんに歴史の会から新たな情報が入りました。
利休が街道沿いの庄屋の庭を設計した記述が関西で見つかったのです。
Aさんの地区で有名な庄屋は別にもありましたが、街道沿いの庄屋はAさんの家だけでした。
私が利休?
聞き間違えかもしれません、利休でないとしても利休がお越しになられたことは間違いではなかったようです。
※こちらの鯉の写真は、Aさんの蔵に所蔵されていたものです。山桜を愛でる鯉、いつしか昇り龍となって一族の繁栄を見守り続けますように。
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